記録的な豪雨が新潟、福島、北関東の一部を襲っている。
被災された方、避難された方、救助にあたっている方、
皆さんのご無事を心から願っている。
くだらぬ番組を垂れ流す民放とは違って、
NHKはほとんどの番組をすっ飛ばし、
災害報道に徹している。
とても感謝している。
東日本大震災の時もそうだったが、
画面に映し出される上空からの映像は、すべてを広範囲に捉え、
状況の把握に大きな威力を発揮する。
定点カメラだと右から左だし、
地上の画像もありがたいけど若干断片的である。
一方、上空の映像は立体的に映し出され、
街全体の状況が容易に理解できる。
人々の動きも理解できる。
だけど、そこまでの映像になると、
寅パパには驚きを越えて悲しみの域に入り、
その映像はとてもショッキングでインパクトが大きい。
それはなぜか?
飛行機での移動を頻繁に繰り返してきた人間の習性である。
これはフライトクルーだけのものではなく、
頻繁に利用する者にとっても同じことが言える。
恥ずかしい話だが、
JAL123便の墜落事故は寅パパの留学する前の年。
1985年8月の事故だったが、
あの時のヘリの映像はお悔やみと驚きしかなかった。
飛行機に乗ったことも無いのだから、
ただ「うわぁ」と驚きの声を発するだけだった。
留学してから25年の月日が流れた。
腐るほど飛行機に乗って、各地を飛び回る人間は、
その時々で上空からの眺めに思いを馳せる。
雨の日は窓の外を物悲しげに雨水が横に流れていく。
例えば、夜の成田。
北からのアプローチの場合、多くの町々の上空を飛ぶ。
街の明かりが少しずつ大きくなり、
クルマのテールランプが綺麗な赤い線を描いている。
ちょっと遠くには都心の光が浮かび上がっている。
「みんな今頃夕食かなぁ?」とか、
「気を付けて帰るんだよぉ」とか、
寅パパの場合、
「寅ちゃんはおとなしく留守番しているかなぁ」とか、
機内のシートベルト着用サインがついた前後、
機体が徐々に高度を下げていく約30分をそうして過ごす。
雨の日は低高度に雲が厚く立ちこめているので、
窓の外は当然真っ白だが、
しばらくすると街の光が雲の隙間に見えてくる。
このシチュエーションは旅愁を感じやすくさせる。
平和な光景であれば、何ともない。
そういう平和なシーンを、
昼夜を問わず何度も見てきているからこそ、
上空から、
しかも低空の特異な光景になると心が締め付けられる。
そして鼓動が速くなる。
つまり「日本が傷ついている」と鋭敏に感じるのだ。
地面を這うように津波が上がっていき、
先頭にはその場に相応しくない一艘の漁船。
軽々と流されていくクルマ。小さく見える人影。
そして今回の豪雨災害は、
川沿いの最前線で警戒する消防車が小さく見え、
濁流が住宅地や農地を不自然に覆う姿が見てとれる。
上空から映像を送るヘリの窓ガラスを雨水が横に流れ、
寅パパにとっては悲しさを大きく増幅させる。
我が故郷の福島に、
神様はどうしてこのような試練をお与えになるのか。
何も悪いことをしてないのに。
マイナーコードの音楽をかけていたら涙が溢れてきた。
皆さんのご無事を心から願っている。
寅パパ