寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

寅次郎、旅立つ(その2)

お疲れさまです。寅パパです。

うつ病治療中の寅パパには、寅ちゃんを失った事実は別の意味で大きいです。しんどいです。

寅ちゃんは、7日の午後1時過ぎに、市役所の動物火葬担当が引き取りに来てくださり、大切に運ばれていきました。一晩霊安室に安置された後、本日8日荼毘に付されました。

寅ちゃんは、ここ半年ほどで後ろ脚が急速に弱り、歩行困難になっていました。食欲は旺盛だったのですが、歯が無くなってしまったことと、歩けないことによる胃腸の動きの低下も原因となり、老犬用のペットフードさへも消化できなくなりました。

それでも、家人が食べる白い御飯だけは欲しがり、お粥に切り替えてマグロ系の柔らかいフードと混ぜたら美味しそうに食べ、介助を受けながら毎日立派なウンチをしていました。家の中を汚すとか一切なく、家人には殆ど迷惑をかけていません。さすが寅ちゃんです。

5日月曜の午後から動きが鈍くなり、水も飲まず何も食べなくなりました。声も出ません。だけど、福島で初めて味わった大好きな摺りおろしリンゴだけは口にしたそうです。大満足だったでしょう。

ですが、それでも回復せず、すぐにかかりつけの病院で診察を受け、点滴で一旦は元気になりましたけど、6日の昼過ぎから呼吸が弱々しくなり再度病院へ。

2度心肺停止になりながら、なんとかお医者様に蘇生してもらえたのですけど、3度目は無理でした。

毎日一緒に居た我が弟が付き添っていましたが、『ごめんね、もうイイよ』というように、フウッと大きく息を付いてから、安らかに眠りました。

寅パパは、7日に寅ちゃんと再会したわけですが、毛艶も毛並みもよく、最後まで立派でした。

震災後、なにかと重苦しい福島に、天性の明るさと優しさを持つ寅次郎を連れて行ったことに後悔はありません。地域の人々にも大変可愛がってもらいました。心より厚く御礼申し上げます。

遺骨は、一般的な1つの壺ではなく、2つに入って届きました。寅ちゃんは、福島と東京の家族のことを考えたのでしょう。さすがです。

人間の言葉を理解できた寅ちゃん。

上海にも一緒に行った寅ちゃん。

我が子のように育て上げ、一つの時代を共に生きたこと、何物にも代え難いよき思い出です。

最期の寅ちゃんの写真は、忘れた頃にアップします。

寅パパ