寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

ナショナリズムと五輪

世界各国を北京五輪の聖火が移動している。アテネ五輪を真似して、自分たちも同じことをしたいと我儘を言って、それをIOCは軽々に認めてしまった。そして、聖火の行く先々で混乱を招いている。なんとしたことか・・・。

国籍を問わないチベット独立或いは自治の支持派が当初は派手な動きを示していたが、徐々に中国政府の動揺が表面化している。対抗策はとても簡単。中国人が多数居留する国家では、中国関係団体が日当を渡して同胞を集め、国旗を配布して五輪開催を正当化する動きを見せている。その結果、ナショナリズムを著しく台頭させ、五輪の行く末に暗雲を生じさせていることを当の開催国は全く気付いていない。悲しむべきことである。

以前もこのブログで書いたが、対中国政策は「生かさぬよう殺さぬよう」が基本であるべきだった。これは今も間違っていない選択だと寅パパは思っている。余裕が生まれ、容易に行動を起こせる状況になった場合、この国はどこに向かうか解ったものではないのだ。なぜなら、長年にわたって基本情報はコントロールされ、さらには人民の思想に大きな国家権力の壁が存在した為、正しい判断が下せないという残念なベースがあり、その壁が一度決壊すると予期せぬ動きに直結するためだ。

欧米各国は当初この国を慎重に分析し、上述の基本政策を決めた筈だった。なのに、その流れを変えたのは、基本政策を決めたアメリカ張本人である。国内の景気が低迷し、主要な自動車産業の巨大マーケットとして中国を選ばざるを得なかったその時、なりふり構わぬ政策の転換を進めた。一方、欧州は比較的安定しており、その結果フランスなどは今も中国の動向に半信半疑であり、今回の五輪では強硬な姿勢を見せている。寅パパ的にはフランスの反応の方がとても自然である。

中国がオリンピックを開催することは邪魔しない。勝手にやれば良い。諸外国が参加する・しないを判断するのは各国の事情だ。各国のお国の事情に対し、中国は何も言えない。なぜならこれは中国が頻繁に持ち出す常套句だからだ。

ならば、ここで中国を放っておいてみてはどうだろう。欧米では一時期「China Free」が叫ばれたが、とことんやってみれば良い。技術供与を止め、輸出を減らし、資本を引き上げれば良い。乱暴な荒療治かもしれないが、手を引いてみれば良い。その結果どこに向かうのか・・・。世界各国がその真の方向を見定めるべきである。

冷たいようだが、中国は成熟した国家ではないのだ。実に幼稚だ。刃物の痛みを理解していない国家国民が刃物を持った時、それは一番危険な時代に突入する。

中国よ、冷静に物事を見極め、そして判断するべきだ。

寅パパ