寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

平和な人間には裁けない

いつの日か「セレブ」という単語が抜けた「渋谷・夫殺害事件」。「セレブって何?」と別な意味で考えさせられるこの審理が判決を迎えた。

この判決よりも先に、刑法第39条に関わる精神鑑定の評価が問題となった東京都北区の傷害致死事件上告審判決が25日に最高裁で出され、「特別な事情がない限り、鑑定結果を尊重すべき」との判断が示されていたのだが、実際の判決は「懲役15年」。しかも検察側・弁護側の一致した鑑定結果は、「裁判官は鑑定結果に拘束されない」という大原則に則った形だ。

人が人を裁くのが裁判。「専門的知識」が大きくクローズアップされた点では意味があったんじゃないかなぁ。

第一は鑑定。ここのレベルを上げることが最も重要である。なぜなら上述のように憲法に関わる重要な観点からの結論を導き出すのだから、関係各法令を十分認識した「認定鑑定医制度」を早急に創設すべきであると思う。「精神保健指定医」では無理がある。

第二に犯罪事実がどのように構成されているかということ。

これは後々の裁判員制度を考えれば、犯罪の構成事実がどの時点で確定し、その時の犯罪者の精神状態がどうだったのか可能な限り明確にする責任が検察側にも弁護側にも存在することを指し示してくれたと言える。つまり、曖昧な範囲或いは限定的に判断できない鑑定ではいけないということだ。

*犯行時の精神状況(殺人なら殺したその瞬間の状態)

*犯行の態様(死体損壊が含まれるなら、殺害からバラバラまでのすべてを含む態様)

*動機(一連の環境や背景)

*犯行前後の行動(冷静且つ自己の判断に基づいたものか)

上述の諸点を考慮しただけでも、若干平和ボケの日本国民にとっては非常に酷である。自ずと裁判員制度は大きな危険性を孕んでいると言えわざるを得ない。

今回の判決を徹底的に分析・検討し、より良い裁判員制度にすべく努力を怠るべきではない。願わくば、一時的になろうかも知れないが「仮釈放無き終身刑」の創設も考慮されたし。

いきなり国民に「死刑」の選択を迫るのは無理がある。

寅パパ