寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

棺桶

新千歳空港におけるJALの管制誤認&無断滑走にはじまり、今日は空港管制のトラブルだ。 初めて飛行機に乗った1986年(伊丹→北京)からずっと感じ続けているのだが、航空機で移動する機会の多い寅パパ的には、飛行機に乗るということはやっぱり「棺桶に両脚を突っ込む」ことに等しいということである。「浮揚能力があり、滑空翼の付いた車」に乗った方が余程安全である。 伊丹発の北京留学。それは1986年8月23日。その1週間前に亡き父が「見送りに行こうか?」と心配そうに尋ねてきた。なぜなら1982年の羽田沖日航機墜落事故、1983年の大韓航空機撃墜事件や1985年のJAL123便墜落事故が記憶に新しかったからだ。 リンクを貼ったこのコックピットの切ないやり取りを聞いて欲しい。 123便の事故は、過去の尻もちで損傷を受けた圧力隔壁に対するB社の杜撰な修理が引き起こしたものであり、クルーにとってはまさしく突然の予期せぬ出来事、まさに緊急対応である。所々に英語の表現が出てくるが、警告音などと共に徐々に切迫してきて、実に悲しい。今回の新千歳のそれはもっと簡単なやり取りであり、理解できなかったクルーは「防氷液」の効果に焦った「Hurry Up症候群」ではないかと言われている。航空法で厳格に規定されている4本線(機長)資格剥奪は当然である。 親父が心配そうに尋ねてきた時、寅パパは親父の眼をジッと見つめて、真面目に答えを返した。寅パパの答えはこうだった。 「気をつけて行って来いよ!・・・って送り出されても、飛行機の事故はどうしようもないんだよ?しかもお父さん、伊丹から福島に帰るより早く、僕の方が先に北京に着いちゃうんだよ?」 今思い返せば「今生の別れ」のような一コマだったと言える。搭乗中はコックピットのやり取りなんぞ搭乗客には全く聞こえないのである。そのような状況で「気をつけて行ってくるよ!」と答えられようか! 上述のような家族のやり取りが搭乗前に存在することを、航空各社並びに航空行政当局には決して忘れないで欲しい。勿論、人員輸送に携わる人々皆に対しての切なる願いである。 明後日も上海行きに搭乗予定の寅パパ