『いじめ』という時代錯誤の表現カテゴリが、再び世間を震撼させている。
その上で一言書かせてもらう。
自殺が起きてしまって以降、当該学校を含めた教育界は、都合の良いアンケートを実施し、結果を一方的にコントロールしながら『因果関係』を偉そうに論じ、組織防衛を最優先する始末。
実に見苦しきかな。
検察警察では捜査過程の可視化が叫ばれて久しいが、寅パパ的には、我が国の教育界こそ、現場を可視化すべきだと言いたい。
そもそも、学校の先生は教える立場にあるが故に、教えられることに抵抗があり、改善の余地に乏しい。甘受できないのだ。
子供たちの万一を考えるならば、第三者によるチェック機関を設け、学校生活を可視化するべきである。
さらに、『いじめ』ではなく『人権蹂躙』『人権侵害』なのだという正しい認識を広く啓蒙し、苦しみ悩んでいる子供の声が、直接的に捜査機関や保護司・民生委員・NPOに届くシステムを確立し、出来る限りの保護態勢を構築すべきである。
3度も被害届を不受理とした警察が、やっと重い腰を上げたが、その一歩を確かなものに変えることも大切な施策だと言える。
寅パパ
追伸2:亡くなったパンダの赤ちゃんに、是非とも名前を付けて欲しい。