寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

人の命

ここ数日、注目の殺人罪に対する判決が次々と言い渡された。一件は長崎市長銃撃殺害事件。もう一件は渋谷の妹殺害死体損壊事件。そして過去の渋谷のセレブ妻殺人事件も考えなければならない。

�@長崎:死刑(求刑死刑)

�A妹:懲役7年(求刑17年)

�Bセレブ:懲役15年(求刑20年)

これら3件の犯行には、心神耗弱や心神喪失有権者へのテロなどいろいろな要素が含まれているが、いずれも一人の人間の命を奪ったことに変わりはないのに、判決内容に大きな差が生じた。

�@は選挙民の選択肢を奪い(私人と公人を殺害したと言える)、公然とテロ同様の犯罪を起こしたことへの断罪と考えられ、今後の裁判員制度の施行前に、是非とも判決を確定してもらいと願っている。

�Aと�Bは、殺害行為はそれぞれ認めたものの、遺体を損壊した行為については、その時の精神状況を勘案して情状を酌量し、その結果判決に差が生じた。この差の要因が一体何なのか?・・・。

寅パパ的には、過去の判例とも照らし合わせながら、司法は積極的に背景を説明する必要があると思う。そうでなければ、江東区の事件或いは出会い系を切欠に連れ回され、薬物を打たれた可能性が根強く、未だに発見できずにいるあの少女の一件でも、裁判員制度の下では大きな混乱を招く恐れがある。外国人英語講師を殺害したあの市橋だって同じである。裁判員制度に委ねる可能性が高いのだ。

今までと同じように判決を下していてはいけない。状況が変わっているのである。裁判員制度を前にして司法に求められることは、先々の裁判員が判断を容易に下せるよう量刑判断に至った明確且つ合理的な判断背景を示すことにあると思えてならない。

主文や判決要旨、付言等々、そんなものはどうでも良いとは言わないが、多くの国民が神経質になっている現在とどうなるか解らない今後に鑑みるならば、司法はもう少しハッキリと意思を示すべきである。これは検察側も弁護側も同様である。

その場合は、感情的な意見は一切無用である。誠心誠意、判例に基づいて欲しい。そして何よりも万人に理解し易い内容であることが不可欠である。

寅パパ