寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

航空管制

先日、東京高裁で管制官に逆転有罪を言い渡した判決が出た。一審は無罪だったものの、二審では本当事の単純ミスによる管制指示を危険行為と認定し、その責任(管制官個人の過失責任)を司法が認めた形であった。罪状は「業務上過失致傷罪」である。

頻繁にフライトを利用するユーザーの立場としては、飛行機に搭乗後、機材とクルーと管制官に命を預けているわけだから、間違った指示が危険行為であるという司法の判断は、管制官個人に責任を負わせる意味では「酷」かもしれないが、ある種正しいと感じる。でも、広い法律上の意味はどうなのか?と考えると、疑念を完全に払拭し得ない。どうもスッキリしないのだ。

周辺環境・勤務環境を指摘する報道も散見され、成田及び羽田の離発着枠が拡大され、さらには新規空港の開港も拍車を掛けた中で、管制官の人員適正化が業務量の伸びに追いついていないことで、管制業務は以前より大きな負担を強いられているという側面も無視できない。つまり人為的なミスが発生した背景をもっと考慮すべきだという意見もある。これも正論である。

そういう意味でも、寅パパ的には「航空管制官とは?」という原点に戻るべきではないかと感じている。

航空法上は管制官という規定はどこにもない。管制業務は国土交通大臣が行う法律事項であり、それらの各事項を航空法施行規則によって地方航空局長や航空交通管制部長に委任しているのだ。その上で、地方航空局組織規則によって初めて「航空管制官」が規定されて、委任業務が明確になっているのだ。しかも管制官は業務遂行のために「航空保安大学校」で一定の研修が義務付けられてもいる。

つまり今回の裁判は、「業務上過失致傷罪」であるが故に個人である管制官の責任を認定せざるを得なかったわけだが、一連の航空法関連規定の「縛り」が存在する以上、本件の場合は管制官個人レベルに一定の免責を認めつつ、全体を考えてシステム的・組織的責任の認定を目指すべきではないかと思う。

日本にも航空鉄道事故調査委員会があるが、その権限は極めて低い。事故調査の最先端ともいえるアメリカの国家運輸安全委員会が良い例だ。その強い権限で得た調査結果を訴訟で証拠採用することを禁じているように、事故原因の徹底的究明と再発の防止は全く、個人の責任追及(日本場合は「業務上過失致死傷罪」など)と完全に別物であるという立場が明確である。そうなるためには、現在の事故調をNTSB同様の組織に改め、過失による刑事責任を問わないことで当事者からの証言を得やすくすることも必要になってくる。

無論、検察がそこに踏み込むことはあり得ないのだから、被害者側が民事で国・国土交通省を相手取って損賠を立てれば、この方面の改善に繋がると思えてならない。刑事で無理なら、民事で争うべきである。

とにかく安心して乗っていられるよう、常に安全運航の方向性で考えて欲しい。

寅パパ