寅次郎の喜怒哀楽    寅パパの多事争論 Ver.2

国際政治専攻の寅パパが、ん?と思ったら書いています!

医療訴訟の難しさ

今日、福島県立大野病院の産婦人科医師に対する無罪判決が出された。

29歳の若さで幼子をこの世に残しながら無念にもお亡くなりになったお母さんと、そして残された家族のことを思うと、心よりお悔やみを申し上げたい。

しかしながら裁判とは生き物である。その上医療裁判とあれば、その立証の難しさは計り知れないのは周知の事実なのに、検察はなぜに焦ったのか。

裁判には「判例」がある。「判例主義」とか「前例踏襲主義」とか言われ、折々にクローズアップされるわけだが、それはやみくもに踏襲するのではなく、「先例拘束性」と言えるように、判例の中の重要なる法原則のみが拘束性を持ち、後の判決を拘束することである。

一方、医療には「症例」というものが存在する。しかしながら拘束性は判例ほど高くない。だからこそ情報・経験を共有し、さらに発展させるために学会がある。その上、医療は司法よりもずっと「生き物」であり、日々進化をし続けている。だから、リスクと犯罪のボーダーラインは限りなく不鮮明であると言わざるを得ない。

このような状況下にあるのを知りつつ、公益の代表者としての職務と立場に焦り、検察は従来どおりに公判を維持するだけのために自分たちの側に立った証人申請だけを固執し、セカンドオピニオンなど完全無視であった。稚拙な公判維持である。

それはなぜか・・・?

やったらさらに敗訴濃厚なのが明明白白だったからに他ならない。

ならば、どうして公訴を取り下げなかったのか?

医療訴訟を知らなさ過ぎる・・・この一点に尽きる。

経済犯罪などは金融庁証券取引等監視委員会公正取引委員会国税庁と協働し、航空事故では事故調と緊密に連携している実績があるのだから、医療面については、環境が整備されていないのは一目瞭然である。

どうか控訴は見送って欲しい。その代わり、積極的に調査委員会設立に動いて欲しい。

一方遺族側は泣くに泣けないであろう。察するに余りある。今回は業過致死と医師法違反の刑事訴訟なのだから、弁護士を変えて民事(損賠)を争うことも選択肢の一つである。

寅パパ